んで

よく思うんですが、60年代、70年代におけるマルクス主義およびカウンターカルチャー、80年代における構造主義ポスト構造主義およびポストモダン思想というものが(たとえファッションとして消費されていたとしても)世代全体に(インテリ層だけだったのかもしれんが)影響を与えていたというのは、僕にとってはものすごく想像し難い。これは、(あくまで自分の認識できる範囲だが)僕と同世代の人間はほぼ同様の意見を持つんではないか?


例えば『世界の中心で愛を叫ぶ』(←しつこいなw)は日本作家の小説では初めての300万部突破をなしとげたが(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040520-00000172-kyodo-ent)、未来において僕たちの世代が「『世界の中心で愛を叫ぶ』世代」などと語られることは、現在を生きる僕たちでさえも想像できないだろう。
僕らは世代を通して何かを共時的に語るということが出来ない世代であるように思える(強いて言えばジャンプくらいか?)。
それゆえ過去における世代的共時性を想像し難いのだろう。


そこで村上龍原作の映画『69』(http://www.69movie.jp/)(ヤンジャンでも漫画が連載中)が公開されますが、この手の映画を見るときは、いつもどのようなスタンスで見ればいいか悩んでしまうんですね。
①現在では得られない世代的共時性に憧れを抱いて見ればいいのか、②それに対する浅はかさを学び取ろうとして見ればいいのか、③単なる青春エンターテイメントとして見ればいいのか。
というわけでどうしようか考え中です。
クドカン脚本なら③が正解かな。