20070825永遠なるもの
『あぁ、全てが人並みに、うまく行きますように。
暗いだなんて言うなって、全てよ運命の想うままに。』
中村一義という存在は。
≒Fishmansに90年代を体現している存在だ。
一人きりの状況の裂いた部屋の中から、音楽を通してのみ外の世界アクセスできる、
いやアクセスできずに、その憤りと憧れを表現し、
同じように外の世界に対する疎外感と切望を抱く人間の心を掴んできた。
そんなロキノン的批評に漏れないように、
別々の場所で90年代を過ごしてきた友人と共に、
同じ場所で同じ曲を聴く。
これを同時代性と呼ばずしてなんと呼ぼうか。
アンコールで歌われた10年前の曲、
永遠なるもの。
「何で普通にできないの?」という言葉に対して抱き続けてきた嫌悪感は、
『人並みに、うまく行くこと』への憧れの裏返しでもあり。
10年経って、なんだかんだ社会化されて、人並みに振舞うことは可能になった今でも、
この曲を聞いて涙が出てきたのは、あの頃考えてたように『人並みに、うまく行って』はいないことを背理法的に証明しているんだと思う。
『全ての人達に足りないのは、ほんの少しの博愛なる気持ちなんじゃないかなぁ。』
まだまだ自分には博愛なる気持ちが足りていない。