土日連続夜勤のおかげで

なんだかうだつのあがらない週末を送ってしまった。
昨日は目を覚ましたときにすでに夕方で、掃除洗濯してちょっと作業をこなしただけでもうバイトの時間。


ひさびさに電車・バイト中に読書でもしようかと、てきとーに本棚から文庫本を何冊か(引っ越してからというものハードカバーの類はほぼ押入れの中に眠らせたままだ)見繕ってバックに入れ、井の頭線渋谷行きの終電に乗り込む。

日曜日の渋谷行きの終電の乗客たちはみんなどこか物憂げな表情。みんないったいどんな生活を送ってる人たちなのだろう。どこからきてどこにいくのだろう。謎だ。それは周りの人間にとってみれば僕も同じことなのだろうが。
いや人が電車の中で他者にそんなに注意を払ってることなんてないかな。僕にしてみても、ただふとそんな思いがよぎってみただけで、そこにはなんら必然性のないもののように思える。
もしくは、今自分は何をやっているのだろう、という疑問を投影しているに過ぎないのかもしれない。


電車の中で取り出した本はウェーバーの『職業としての学問』。「個性」が「体験」に属するものとし、「体験」のみを得ようとやっきになる者に注意をうながし、日々の仕事(ザッヘ)に仕える者のみが個性を持つ、という件に目頭が熱くなる。
これはなにも学問的領域に限ったものでもないし、また当時のドイツの歴史的背景には明るくないのでそちら側への言及は避けておくが、この現代の状況の中で、パッケージ化された「体験」をお手軽に得て、その「体験」を他者に示すことによって「個性」的であるということを主張する人間に対して抱くなんともいえない気持ちの悪さに通ずるものがありますな。
つーわけで日々をきちんと生きようと改めて思い直した次第であります。


今日は会社の内定式です。予定調和的な式典など出席していて気分が悪くなるだけなのですが(というか式典など往々にして予定調和的なものだと思うが)、かといって出席しないわけにもいかないので、アルコールによる適度な脱力で不快感と戦うわけだ。