夏休み中、ひょんなことから『誰も知らない』(まだ観てない)の監督是枝裕和のドキュメンタリー作品『記憶が失われた時』を観た。
『記憶が失われた時』は、入院中の病院側の栄養管理ミスで、自分に起こった新しい出来事を記憶できない「前向性健忘症」の障害を背負った三十代の男性を追ったドキュメンタリー。
男性の記憶が保てるのはほんの30分ほどであるが、それ以外の機能は正常に働いており、そのような障害を負っているということを告げられると、とても信じられないといったような表情を見せる。しかしその事実も30分で失ってしまう記憶であり、その度に彼は自分の記憶からぽっかりと抜け落ちた空白という不安と戦い続ける。


一方、映画『ワンダフルライフ』でも、是枝裕和は記憶にを題材にした物語を描く。
「あなたの人生の中から大切な思い出をひとつだけ選んで下さい」
人は死んだとき天国の入り口でこう言われる。そして選び出した思い出をビデオに撮り映像として残していくのだ。
死者たちは自分の人生を振り返り、自分の過ごしてきた人生を後悔するもの、残すべき思い出が見つけられず思い悩むもの、さまざまである。
そうして、一週間以内に死者たちは自分たちのビデオを完成させ、そのビデオを観て自分が残したものに納得することで初めて天国へと向かえるのである。



つい先日HDDフォーマットでそれまで撮りためておいた写真が全て消失した。
僕は自分の記憶という物に、ものすごく自信がない。おそらく一日のうちかなりの時間妄想に耽っているせいだろう。また他者の体験に同調しやすく、それがまるで自分の記憶であるかのように錯覚してしまうことがよくある。あいまいな記憶のまま過ごす日々(この考え自体も一つの同調作用である可能性は否めない cf 向井秀徳)。
写真はそんなあいまいな記憶を幾ばくかクリアにするための外部記憶装置として働いていたのだが。



さて「あなたの人生の中から大切な思い出をひとつだけ選んで下さい」と問われたら何を選ぼうか。
もしくはこれから選べるような出来事が起こるのか。
その記憶は、選ぶことを迫られたとき、はっきりしたものとして残っているのだろうか。
まぁ考えてもしょうがないな。