ひつだんの話をこっちにもってきました。

まぁおなさんが「よくないよね」と、また卑屈になってるからフォローしてるだけなんですけどねw

うん、まいまいがなかなかいいこと言ってるね。

「誰でも自分が世界の中心であることは避けられない」と思う。
現に人の気持ちなんていくら考えても結局わっかんないじゃん。

たしかに「心」を認識することなんて不可能。少なくともオレはできないっす。あくまで自分の主観による想像の範囲内のもの。あくまで世界は「想像の共同体」。それが各種、文化や教育、他者とのコミュニケーションの経験によって、想像が当たる確率が増すことで秩序が保たれてるだけでしょ。ときにはその文化、教育、経験がバイアスになって、ものすごい見当はずれな想像をすることもある。

んで、そういう立場にたって自分を見たとき、やっぱ人生は楽しいほうがいいわけですよ。そしてなるべくそれは人と共有できたほうがいいわけですよ。

んで自分が取れる方法論(あくまで方法論の一つ)としては、予期の精度と行為の精度を上げるというものが考えられるなと。

他人が楽しいと思うものを理解したいと思うし、自分が楽しいと思えるものを理解してほしいと思う。他人が楽しいと思えるものを提供できるようになりたいと思うし、自分が楽しいと思えるものを提供してもらえるようになりたいと思う。
でも「相手はこれ楽しいと思うだろう」「相手は、自分がこれを楽しいと思っているだろう」というのはあくまで想像にすぎないよね。でもその想像は当たっているほうがいい。だから想像の精度は上げたいと思う。

また、相手が楽しいと思えることを提供するのも、自分が楽しいと思えることを相手に伝えるのも、実際にそれをできるようにするために行為の精度を高めるしかないと思う。